2020年9月23日
オスロ大学 Clinical Effectiveness Research Group
昭和大学横浜市北部病院 消化器センター
森 悠一
この度は、内視鏡学会のホームページへの寄稿のチャンスを頂き、誠にありがとうございます。私は、Prof. Michael Bretthauerの御厚意および工藤進英教授の力添えで、2020年春よりノルウェーのオスロ大学Clinical Effectiveness Research Groupに博士研究員として赴任しております。滞在の主な目的は、本邦で開発した内視鏡人工知能技術(AI)の有効性を、欧州を含んだ国際的な規模で検証することと、それに関連した大型の研究費を獲得することであります。
オスロ大学Clinical Effectiveness Research GroupのあるGaustadキャンパス。国の歴史文化財に指定されている建物を、大学施設として利用している。
まずはノルウェーにおける、2020年9月現在でのコロナウィルスの感染状況をお伝えしたいと思いますが、比較的落ち着いております。オスロ市内の一日当たりの感染者は10-30人程度であり、医療崩壊とは無縁の状況で、内視鏡検査も一般的なstandard precautionのもと通常通り実施されております(3月-5月は緊急性の高い検査のみに絞っておりましたが、現在はその限りではありません)。しかしながら、バカンスシーズンの7-8月にヨーロッパ圏内の海外旅行が幅広く解禁された影響か、9月に入りコロナウィルス感染者は増加傾向にあり、ノルウェー政府は危機感をもって対応している現況にあります。ただ、一歩町に出ると、屋内を含めマスクをしている人はほとんどおりません。北欧は極めて透明性の高い社会であり、エビデンスが有ることについては積極的に取り入れる姿勢があるものの、エビデンスが無いものについては懐疑的である傾向があるため、マスクの着用が一般的ではないようです。一方で、イタリア・マルタなどの南欧諸国では今でも公共交通機関や屋内でのマスク着用が徹底されており、罰金刑の対象となりうることもあり、同じヨーロッパ内でも状況や文化が単一でないことを感じます。
さて、私が所属するオスロ大学 Clinical Effectiveness Research Groupですが、大腸内視鏡を対象とした疫学研究で世界をリードしている研究室であります。研究室の創設者であるProf. Michael BretthauerはNORCCAP trial (1999-), NordICC trial (2006-), EPoS trial (2014-)といった「超」大規模のランダム化比較試験を研究責任者として統括しており、大腸内視鏡が大腸癌死亡抑制にはたす役割を明らかにしてきました。研究成果はNew England Journal of Medicine1やJAMA2といった一流誌に掲載され、世界中の大腸癌検診システムや診療ガイドラインを根本から変える原動力となっております。そのような、パワフルな研究を可能としているのは、登録患者数の多さと長期研究を可能とするインフラの存在であります。上述した3試験の登録患者総数は30万人を優に超えており、驚くべきことに、それらの参加者は10年を超える期間で長期追跡されております。このような桁違いの患者数を桁違いの期間フォローする試験を実施することは、一臨床医の自分からすると「夢」のような非現実的な話です。しかしながら、実際にオスロ大学に滞在することで、「夢」を実現する手段が少しずつわかってきた気がしております。一般的に、長期観察における難しい点はコストと脱落率ですが、この点においてノルウェーを含めたヨーロッパのいくつかの国では国民の予後データとリンクされた癌登録が進んでおり、研究利用も推奨されているため、このようなインフラが大きなアドバンテージとなっているのです。加えて、Prof. Bretthauerの強力なリーダーシップにより複数の国をまとめあげることが可能となり、莫大な研究費のサポートも後押しとなり、上述のような医師主導型の大規模臨床試験が実現しえたと考えます。
歴史的文化財の中にある研究室内の内部は、白色を基調に完全リノベーションされており、現代的な研究環境が用意されている。
私自身は、日本での所属先である昭和大学横浜市北部病院において7年間にわたり内視鏡AI(大腸病変を自動検出し、病理診断予測を行うシステム)の研究開発に、同僚の三澤将史3とともに深く携わっておりました。研究が進むにつれ、私の脳裏には、この内視鏡AIが本当に患者を救うことができるのか?という疑問がでてきました。とかく日常診療では「いかに見落としなく病変を見つけたか」「いかに正しく病変を診断したか」「いかに高い精度の内視鏡治療を行ったか」が議論になりがちですが、私たち医師の究極の目的は目の前の患者を「長生き」させることであります。私にとっては、「内視鏡AIで大腸癌死が減らせるか?」という命題こそが、究極のClinical Questionであったわけですが、これを本邦で実証するのは非常に困難で、夢のような目標でありました。
そのような中、以前から親交のあったProf. Bretthauerに我々の研究内容に興味を持って頂き、また工藤教授からの強力な後押しもあり、大腸内視鏡エビデンス創出の総本山であるオスロ大学に参画できる機会を頂きました。現在は、私共が考えている命題「AIで大腸癌死が減らせるか?」を日欧の共同研究で解明すべく、Prof. Bretthauerと一対一での議論を重ね、研究プロトコルのブラッシュアップおよび欧州の大型研究費へのチャレンジを続けている状況です。それと並行し、別の進行中の臨床試験にも関与するチャンスを頂いており、内視鏡に関連する大規模試験をデザインする際のコツを学んでおります。不勉強の自分にとっては、高レベルの学術環境に辛さを感じることもありますが、教科書に書いていない疫学研究のノウハウを学べることは、非常にありがたいことであります。
オスロ大学-昭和大学、共同研究のメンバー。右から、Prof. Holme, Prof. Løberg, 三澤将史医師、筆者、工藤進英教授、Prof. Bretthauer、Prof. Aabakken, Dr. Barua
内視鏡AIをオスロ市内の病院にて検証(ノルウェーの新聞Aftenpostenに掲載)
一方で、臨床への関与も重要と考えており、ヨーロッパ内視鏡学会(ESGE)前会長であるProf. Lars Aabakkenの御厚意の下、オスロ大学病院で内視鏡検査に入らせて頂き、現場の医師との交流を重ねております。Prof. Aabakkenは田尻久雄前理事長と強い信頼関係で結ばれており、日本人内視鏡医に対する信頼も厚いため、容易に診療現場に溶け込むことができました。この点におきましては、世界に誇る日本の内視鏡技術を確立した諸先輩方への感謝の言葉しかございません。私個人と致しましては、ノルウェーの大腸内視鏡の質の向上に微力ながらでも役立てられるよう、大腸癌検診プログラムの公式教育プログラムにアドバイザーとして参加させて頂き、日本の内視鏡診断技術の一端を紹介しております。
この度の私のオスロ大学への滞在は、非常に多くの人々に助けられた幸運のもと実現しております。この経験を介し、日欧の内視鏡学の発展に微力ながらでも貢献できれば、存外の喜びであります。内視鏡の修業時代を含め全面的なバックアップを継続的に頂いている工藤教授、オスロ大学でのポジションを確保頂いたProf. Brettauer, Prof. Aabakken、文科省科研費からの海外研究費のサポート、昭和大学横浜市北部病院の仲間の先生方の絶え間ない協力に、この場を借りて深く御礼申し上げます。
オスロでは多くの歴史的建造物が素晴らしい保存状態で使用され続けている。写真は、グランドホテル。ノーベル平和賞受賞者の滞在ホテルとして知られている。